宮城県 石巻市 ササキ設計の片付けお手伝い(松木)

(2011/05/02 15:18), 象地域設計 wrote:
Subject: [fukkoushien_nuae:0179] 石巻からの帰京報告と電子レンジのお詫び

> 山下様
> 丸谷様
>
> こんにちは。松木です。
> 昨日深夜に石巻の佐々木さんのところから帰京しました。
>
> 実質2日ほどの作業で下記の作業を行いました。
> ①事務所スペースの片付け
> ②開口部の格子設置
> ③建物の東半分の勾配屋根の骨組み作成とブルーシート張り
> 途中、同じ避難所の皆さん、山形から支援に来られたお二人(佐々木さんの事務
> 所の東半分を活動拠点として利用されている)の作業協力があり、東北 大学の
> 土屋先生ともごあいさつをしました。
> 佐々木さんは職人でつくる木の家ネットを中心とするサポートを受けて、「木の
> 家づくりネット」として、宮城県の「応急仮設住宅の供給事業者による 提案」
> に応募されたそうです。
> 竹山先生からは佐々木さんに連絡があり、別の避難所を紹介されたそうです。
> 千代崎さん、山下さん達の音楽による避難所支援の取り組みをお話ししたとこ
> ろ、期待のお返事がありました。
>
> 片づけは始まったばかりで、③についても、西半分の屋根の対応など課題を残し
> て帰ってきています。現地で宮城支部の新井さんと連絡がとれ、佐々木 さんと
> つなぎ、学生さんによるWS的な協力をご相談してみました。
> ちなみに、本日佐々木さんと連絡をとったところ、昨晩からの強風にて東側屋根
> のブルーシートは外れてしまい、早速改善が必要とのことです・・・。
>
> 後日もう少し詳しい報告を挙げます。
>
> また、電子レンジの件ですが、昨日も作業に明け暮れてしまい、サポートイン仙
> 台に寄ることができませんでした。
> 持込方をご相談させてください。

家造りは古里でこそ/建築士・佐々木文彦さん(54)=石巻市北上町

事務所兼自宅の前に立つ佐々木さん。津波で上階部が流され、3階建ての面影はない=6日、石巻市北上町十三浜
事務所兼自宅の前に立つ佐々木さん。津波で上階部が流され、3階建ての面影はない=6日、石巻市北上町十三浜

◎仲間の支えに再起誓う河北新報110419


 三陸の荒々しい海も、水平線が赤く染まる朝焼けも好きだった。
 「3階からは海が見えたんです」
 視線の先には、コンクリートの1階事務所だけが残っている。2階と3階の自宅部分は津波で、跡形もない。
 石巻市北上町十三浜。設計会社を営む佐々木文彦さん(54)は7年前、本社を仙台市からこの生まれ育った浜に移し、木造注文住宅の設計や古民家再生を手掛けてきた。「故郷の自然の中で仕事をしたかった」と言う。
 十三浜を津波が襲った3月11日のその時、栗原市に出張していた。翌日、無事避難した家族と再会できたが、自ら設計した自宅が全壊した姿を目にした。半農半漁で暮らす地元集落の25戸は、ほとんど流されていた。

 佐々木さんは東京や仙台の設計事務所に勤めた後、27歳で独立。依頼を受けた仕事に取り組んだが、やがて、木の美しさやたくましさにひかれ、伝統的な木造建築に興味を持ち始めた。
 「木造建築を行うためには、地域の協力が必要なことに気づいた。その土地の自然がは育んだ素材や技が必要だから」
 古里や県内の林業家、製材業者、大工らと語り合い、1999年に「杜(もり)の家づくりネットワーク」を設立した。
 「素材のことをきちんと教えてくれるのは大工や職人だった。一人一人が力を合わせれば、地域を元気にできる。自分たちの顔が建て主にも見える仕事をしたかった」
 県産木材への理解を深めてもらおうと、ネットワークの仲間と地元で「森林見学会」も催した。人生の仕事が軌道に乗ったところに津波が来た。
 パソコンも海水に漬かり、30年もかけて積み重ねた数百軒分の貴重なデータが消滅した。佐々木さんは途方に暮れた。

 「佐々木は生きている」。そんな情報がネットワークや建築の仲間に伝わったのは、震災後10日ほどたったころ。身を寄せる古里の避難所には食料や衣料、新品の洗濯機などが続々と届いた。
 6日には、宮城県加美町のそば職人ら11人が避難所を訪れて、温かい食事を振る舞った。これもネットワークの仲間と手掛けた仕事の縁だった。
 支援者は、加美町内で築80年になるわらぶき民家の住人で、親子で餅とそばの店を営む。「先祖から受け継いだ家を守りたい」との願いに応えた仕事に感謝し、修業先だった長野市戸隠のそば職人も招いて駆けつけた。
 「建て主さんから、こんなに支援をもらえるとは。自分たちの思いが伝わっていたと、自信を持つことができた」
 この1カ月、避難所の役員を務めて多忙な毎日だった。これからいったん仙台で仕事を再開し、十三浜に通うつもりだ。
 祖父と父は漁師。自分もアワビ漁に出ることがある。好きな海への思いと津波の現実に、心の整理がつかないほど悩む。
 「それでも」と言葉に力を込める。
 「家々は流され、集落は崩壊の危機にある。建築に携わる者として、また地元の大工たちやネットワークの仲間と共に、古里のために働きたい」
(安達孝太郎)

2011年04月19日火曜日

ササキ設計 宮城県石巻市北上町十三浜字小指33-1