宮城県 「焦点/在宅被災者、置き去り/防災計画、見直し急務」

焦点/在宅被災者、置き去り/防災計画、見直し急務

公的支援が届かない自宅で、後藤さんは釜での炊飯に苦労した=宮城県南三陸町戸倉
公的支援が届かない自宅で、後藤さんは釜での炊飯に苦労した=宮城県南三陸町戸倉

河北新報110610東日本大震災では被災後も自宅生活を続けた「在宅被災者」に、食料や物資が届かないケースが続出した。震災発生から11日で3カ月。多くの自治体は在宅被災者数の調査もしておらず、実態は今も不明のままだ。各県の防災計画が「避難所にいる被災者」を前提に被災者対策を考えていたことが原因とみられ、防災計画に「在宅」の視点を加える見直しの動きが始まっている。(若林雅人、武田俊郎、東野滋)

◎食料・物資届かず、実数すら不明

 宮城県の地域防災計画は「避難収容対策」の項目で「給水、給食などの救助活動が可能」な避難所の確保を市町村に求めている。一方、在宅被災者については、高齢者や障害者など要援護者の把握と災害時の安否確認を求めている程度。在宅被災者全般への対応に関する記載はない。
 県危機対策課は「在宅被災者の位置付けは、避難所の被災者と同じ。在宅生活で支障があれば、避難所に避難してもらうという考え方だった」と説明する。
 

被災後、支援が届かない自宅で過ごしてきた菊地さん=石巻市水明南1丁目<2ID:I10S2HH022N0-5-1>
被災後、支援が届かない自宅で過ごしてきた菊地さん=石巻市水明南1丁目<2ID:I10S2HH022N0-5-1>

 岩沼市など市町が各行政区に物資を届け、区長を通じ在宅の住民に配給した例もあった。しかし市町任せにした結果、配給の有無で格差も生じた。同課は「被害があまりに大きく(避難者が多すぎて)在宅被災者に目が向いていなかった面はある」と認める。
 県は2010年度に宮城県沖地震に備えた新たな被害想定調査を始め、12年度から地域防災計画を改定する予定だった。今後の改定で「在宅者対策は大きな課題の一つになる」(危機対策課)としている。
 岩手県は避難所で食料や物資の供給を受けている在宅被災者を「在宅通所者」として集計。4月初旬には約2万4000人だった在宅通所は現在、約1万1000人に減った。県災害対策本部は「ライフラインの復旧などで避難所に通う必要がなくなった分が減っている」と説明する。
 県の地域防災計画は在宅被災者を特に区分していないが、県総合防災室は「今後、何らかの形で(在宅被災者対策を)検討する」と話す。
 大規模地震が予想されている全国の他地域では、今回の震災を踏まえて在宅被災者対策を含めた防災計画見直しの動きも出てきている。
 東海地震に備える愛知県の地域防災計画は、避難者や災害時要援護者対策の一環で「在宅者対策」の項目を設けている。だが要援護者情報の共有など事前準備に関する内容が中心で、震災時の具体的な方策までは示していない。
 県防災危機管理課は「今回の震災で在宅被災者に情報すら行き届かなかったとの話を見聞きし、東海地震でも同様の状態になるかもしれないと感じた。震災で見えた課題の検証と防災計画の見直しを進めたい」と話す。
 国も実態把握に乗り出した。内閣府は現在、被災自治体に在宅被災者数などを問い合わせており、6月中旬にも全体の状況をとりまとめる方針。
 内閣府被災者生活支援チームは「自治体が把握しているかどうかも不明だが、物資も情報も届かない状態を避けるため、まずは把握に努めたい」としている。

◎在宅被災者置き去り/自宅で苦闘

 東日本大震災の発生から11日で3カ月。地震や津波の被害を受けながらも、自宅を離れられなかった「在宅被災者」に、公的な支援は少なかった。被災者たちは、食料や水の調達など多くの苦難を乗り越えてきた。

<宮城・南三陸/食料届かず焦る日々/寝たきり連れてゆけぬ>
 米粒は白く光り、抜群のおいしさだった。
 「涙が出そうだったよ」。宮城県南三陸町戸倉の後藤さえ子さん(59)は、訪ねてきた秋田県のボランティアからもらった、おにぎりの味が忘れられない。
 海まで約200メートルの高台にあった自宅は玄関先まで津波が押し寄せたが、奇跡的に難を逃れた。地区のほかの家は大半が壊滅。住民らが避難所に身を寄せる中、後藤さんは夫(63)とともに自宅にとどまった。
 「96歳の寝たきりの義母を、避難所には連れて行けなかった」
 近くの川に水をくみに行き、まきをくべて釜で米を炊いた。慣れない作業で、べちゃべちゃしたご飯にしかならなかった。冷蔵庫にあった魚や肉も1週間ほどで尽きた。
 同じころ、避難所に物資が届き始めたが、量は少なく、住民らは互いに持ち寄った米や漬物でしのいだ。秋田のボランティアが訪ねてきたのは、このころだ。「当時は生きた心地がしなかった」と振り返る。
 2週目に入ると物資の量が増えてきた。町の指定避難所に届いた物資は地区の自主避難所にも分配され、後藤さんも受け取ることができた。
 電気は震災から2カ月近くたった5月上旬、簡易水道も6月に入ってやっと復旧。ようやく生活が落ち着いてきた。
 避難所で物資が余り気味だという話を最近、よく聞く。「本当に欲しい時には、なかったけれどね」。後藤さんはつぶやいた。

<石巻/水上生活、情報過疎に/母は通院、店は再開未定>
 石巻市水明南1丁目の鮮魚店経営菊地秋男さん(60)は妻みはるさん(58)と相談し、自宅にとどまることを決断した。人工透析を受ける母親(90)が、避難所の暮らしに耐えられるかどうか不安だった。
 地区一帯は、旧北上川をさかのぼった津波が堤防などから漏れ出して浸水。菊地さんの店は保冷庫や商品棚などが流されたが、店と棟続きの自宅は床下浸水にとどまった。水が引くまで4日間、「水上生活」を送った。
 避難所には行かなかったので、避難所でどんな支援が得られたのかは、想像もできない。
 母親の通院や食料、水の調達には幸い、浸水を免れた車を使うことができた。煮炊きにはストーブを使ったが、ガソリンや灯油が入手しにくい状態が続き、「毎日、ハラハラし通しだった」という。
 電気が約1カ月間も途絶える中で、困ったのは情報の入手。ラジオが頼りで、身近な施設の復旧見通しなどの確かな情報がなく、不安と心細さがこたえた。
 店のシャッターはこの3カ月、一度も開けていない。生活再建には、やはり本業の再開が不可欠だ。店舗の改装が済めば、店頭販売も始められるが、業者は復旧工事の依頼が殺到し、いつ改装できるのか、まだ見通しが立たない。
 「年内に営業再開できれば…。石巻は水産の街、魚の街だから、頑張らないと」と菊地さん。まだ浸水の跡が残る店舗で片付けに追われている。