東日本大震災:惨事招いた大渋滞 宮城県名取市閖上地区

震災後も多くの車が行き交う閖上地区の五差路。津波は渋滞の車列ものみ込んだ=宮城県名取市で、安高晋撮影
震災後も多くの車が行き交う閖上地区の五差路。津波は渋滞の車列ものみ込んだ=宮城県名取市で、安高晋撮影

毎日新聞110731】仙台湾沿いに平野が広がる宮城県名取市。3月11日の震災で、多くの住民は付近に高台がないため、避難に車を使った。海辺の閖上(ゆりあげ)地区では人口の1割を超える約600人が遺体で見つかった。助かった住民が津波の直前に見ていたのは、避難する車の大渋滞だった。多くの住民が車ごと波にのまれた惨事は、二つの要因が重なって広がった。【安高晋】

 ■渦を巻く車

 「歩道橋へ急げ」。閖上郵便局を飛び出した局長の小平利則さん(52)は周りの人に絶叫した。午後3時50分過ぎ。約1キロ離れた閖上港を襲った津波が迫っていた。歩道橋が架かる500メートル先の五差路へ夢中で走った。車道では車が渋滞。車を捨てて逃げようとする人たちが目に入る。子供を抱えて転倒する母親もいた。だが助けられなかった。歩道橋に上った2、3秒後、津波は五差路を一気にのみ込んだ。「まるで洗濯機だ」。渋滞は五差路の先にも延びていた。身動きできなかった多くの車が、歩道橋の真下にできた渦に巻き込まれていった。

 ■事故で封鎖

 「事故で人が亡くなった。救急車を呼んでほしい」。五差路脇の「橋浦精麦倉庫」事務所に男性が駆け込んできたのは地震直後だった。社員の庄司明さん(54)が現場へ向かうと、閖上大橋の中央でトレーラーから長さ20メートルのコンクリート製支柱5本が落ち、乗用車を押しつぶしていた。橋の入り口には約10台の車が立ち往生し、五差路の信号も停止。庄司さんは、車を身ぶり手ぶりで市街方向へ誘導した。地震から30分が経過。まだ渋滞はなかった。

 五差路では2本の県道が交差する。特に、仙台空港と仙台港を南北に結ぶ10号は大型トラックが昼夜を問わず行き交う主要道路だ。片側1車線で「普段からよく渋滞していた」(地元住民)という。

 市の津波ハザードマップは、避難で自動車を利用しないよう呼び掛けている。しかし、平たんで高台のない閖上地区は「車を使うしかない」(地元住民)。市も「地形的にやむを得ない」と認める。

 事故で橋が封鎖された後、渋滞が始まった。五差路から約1キロ離れた有料道路「仙台東部道路」の料金所入り口付近にいた人たちは、午後3時半ごろから「車が全く動かなくなった」と口をそろえる。渋滞はその後、五差路まで延びた。津波は有料道路の下を通る道をくぐり、その先まで達した。

閖上地区の五差路
閖上地区の五差路

 ■直前の指示

 渋滞を拡大した二つ目の要因は、ある呼び掛けが発端だった。「ここは危険です。閖上中学校へ向かってください」

 閖上公民館長の恵美雅信さん(63)が声を聞いたのは有料道路付近で渋滞が始まった午後3時半ごろだった。地震後、約45分が経過。50台以上の車が集まり、館内に多くの避難者がいた。呼び掛けたのは消防署員か団員だったと記憶する。

 公民館は中学校と同じく市の指定避難所。なぜ移動が必要なのか尋ねる恵美さんに「大津波が来たら公民館では対応できない」と答えたという。恵美さんも約500メートル離れた中学校への誘導を手伝った。出口は車で埋まり、中学校へ向かう道路はすぐ渋滞になった。

 多くの避難者がこの移動中、車ごと波にのまれた。公民館の2階から動かなかった人や、津波を見て引き返した人は、助かった。市は「ラジオは6メートル以上の津波が来ると伝えていた。移動を求めた判断は正しかった」と振り返る。

 市の落ち度もあった。昨年2月のチリ津波後、市は地域防災計画で想定した2.6メートルを大きく超える津波が予測される場合は3階以上に逃げるよう各町内会の避難訓練の際に要請したという。公民館は避難先に適さなかったことになる。しかし、閖上地区の複数の町内会長は、要請を「記憶にない」と反論する。市は「周知が甘かった」と認めた。

 妻や母ら家族4人を亡くした町内会長の一人、高橋善夫さん(68)。昨年9月の町内会の訓練でも、避難先を公民館にしていた。「公民館に逃げれば安全と思ってきた。きちんと説明があれば、最初から別の場所に逃げることもできた。もっと多くの命が助かった」