「地震で炉心損傷なら、復旧着手に4年」 英の指摘、触れず導入

東京新聞111209】日本初の商業用原発を英国から輸入するかどうかを検討する政府の調査団が一九五六年に訪英した際、英側が「地震で炉心が崩れたら復旧作業の開始に四年以上かかる」と指摘していたことが、英国側資料で明らかになった。英国型の原発は地震に弱いと言われてきた。指摘は、加えて地震で崩れたら復旧も難しいことを示唆していたが、調査団は報告書でそれに触れずに「導入するに適する」と結論づけていた。

 資料は、愛知県豊田市の科学史研究家奥田謙造さん(55)が英国立公文書館で見つけた。五六年十一月十六日にロンドンで開かれた日本の調査団(団長・石川一郎原子力委員長代理)と英国原子力公社側との会合の様子が記されている。

 それによると、日本側調査団は導入を検討する英国コールダーホール原発型の原子炉が、減速材に使う黒鉛を積み重ねただけの構造になっていることに懸念を表明。同年十月末からの視察中、何度も英側と耐震問題の解決を求め議論した。

 十一月十六日にも日本側から、地震が原子炉へ及ぼす影響について尋ねたが、英側は「今の構造では地震の影響を受けるが、英国は地震がないのでどうすべきか言えない」と釈明。「日本のためには構造のどこが傷つきやすいかをアドバイスすることが一番だ」として、「もし黒鉛が崩れて炉の操作が妨げられた場合、人が安全に中に入って積み直しを始めるには、四年以上かかるだろう」と話した。

 結局、耐震問題に不安を抱えたまま調査団は帰国。報告書では、英側から「十分の回答は得られなかった」としたが、設計の修正で解決できるとして「英国の原子力発電設備の導入から進めるのが良い」と結論づけ、初の商業用原発となる東海原発(茨城県東海村)に英国型を採用するレールが敷かれた。

 同年八月八日付の英原子力公社の内部文書では、英国の原発メーカーが「日本では地震が頻繁に起こるので、原子炉の設計がとてつもなく難しくなる」と指摘したとの記載もあり、耐震問題は、日本側が指摘する前から英側も把握していた。

 当時日本原子力研究所の研究者で、調査団の通訳担当だった原礼之助さん(86)は「『復旧に四年以上かかる』という説明は記憶にない。ただ、石川団長には『購入するつもりだから、その前提で通訳してほしい』と言われた」と証言した。

<コールダーホール原発と東海原発> 英コールダーホール原発は西側諸国初の商業用原発で、1956年10月に運転開始した。核分裂反応を効率的に行うための減速材として、水の代わりに黒鉛を使う構造。原爆用プルトニウムの生産を兼ねていた。2003年に閉鎖。日本初の商業用原発となった東海原発は、コールダーホール原発の改良型。66~98年まで営業運転し、現在は廃炉作業中。燃料に天然ウラン、減速材に黒鉛を使うガス冷却炉。積み上げた黒鉛が地震で崩れる恐れが問題となり、黒鉛のブロックを凹凸に加工してかみ合わせるよう設計変更した。