宮城県「東日本大震災1年:宮城県の現状(その1) 都市部で復興特需」

東日本大震災1年:宮城県の現状(その1) 都市部の復興特需

津波が襲った仙台市若林区荒浜の海水浴場には犠牲者を悼む慰霊塔が建立されている=2月18日午後2時7分、瀬尾忠義撮影
津波が襲った仙台市若林区荒浜の海水浴場には犠牲者を悼む慰霊塔が建立されている=2月18日午後2時7分、瀬尾忠義撮影

毎日新聞120306】東日本大震災の被災地で最多の約9500人の死者を出し、今なお1700人余りが行方不明の宮城県。リアス式海岸の北部は点在する集落が津波に襲われ、南部の平野部は広範囲で浸水した。震災からまもなく1年、農業は徐々に復旧し、仙台市では復興特需も起きている。一方で、壊滅的な被害を受けた石巻市などでは、がれき処理も十分に進まず、復興の動きは鈍い。沿岸部の各自治体の今を追った。

 

 ◆利府町

 

 ◇住宅地拡大へ

 

 JR東北線が通るほか三陸道や東北道も利用できるなど交通の便がよく、仙台市のベッドタウンとして発展してきた。町が昨年12月に策定した震災復興計画の柱は「都市構造の再構築」。他の自治体と比べて被害が少なかったことから、土地区画整理事業を進めて住宅地や道路網を拡大する。鈴木勝雄町長は「転入者を受け入れるなどして、復興をけん引する」と力を込める。

 

 津波に襲われたものの、震災から20日余りで営業再開にこぎ着けた沿岸部のホテル「浦嶋荘」は、他の被災地へ向かうボランティアや応援の自治体職員が1日平均15人宿泊。こうした客に弁当を振る舞うなど、町と歩調を合わせて支援に回る。【竹田直人】

 

 ◆七ケ浜町

 

 ◇被災者面談2度実施

 

 最優先課題に掲げた住宅対策では、住民の意向を尊重しようと、全被災者への面談調査を2度実施した。その結果、集落のコミュニティーを大事にするため、町内6カ所の高台に計400戸超の集団移転を行うとともに、災害公営住宅200戸を建設する方針を決めた。集会所や公民館も整備して地域のつながりを守ろうと、住民と協議している。

 

 中核漁港だった吉田浜・花渕浜地区では、漁業、水産加工業、商業を兼ね備えた「6次産業」の拠点にする構想も進む。東北初の海水浴場として明治時代に整備された菖蒲田(しょうぶた)浜は、町民やボランティアの尽力で徐々に美しい白浜を取り戻しており、今夏の再開を目指す。

 

 三方を海に囲まれた半島に位置する。面積は東北最小、人口約2万人の小さな町は懸命に復興に向けて歩んでいる。渡辺善夫町長自身も津波で自宅を失ったが、「海と共生していかなければ我が町の存在意義はない」と話す。【渡辺豊】

 

 ◆多賀城市

 

 ◇「現地再建」計画

 

 ソニーをはじめとする企業が立地する。宮内地区はその象徴だが、空き地にはがれきの山が点在し被害の大きさを物語る。

 

 同市は海に面していないにもかかわらず、仙台塩釜港の内湾などから入り込んだ最大4・6メートルの津波が街を襲い、市域の約3分の1が浸水。死者・行方不明者は180人以上に上った。市内6カ所の仮設住宅で349世帯約700人が暮らし、市外で約770世帯が避難生活を送る。

 

 昨年12月には今後10年間の震災復興計画を策定した。高台などへの集団移転は行わず、地盤かさ上げによる「現地再建」と「多重防御」を掲げる。国立の研究拠点「地震・津波ミュージアム」構想も盛り込んだ。

 

 補正予算の編成は8回に及び、総額計238億円に上る復旧・復興事業を実施。工業などの主要産業は約5割が復帰した。菊地健次郎市長は災害時の非常食の製造などを念頭に「『減災』に関連した工場を誘致したい」と意欲を見せる。【影山哲也】

 

 ◆仙台市

 

 ◇県内外から9000人流入

 

 「具体的な移転に向け、市との話し合いを進めてはどうか」。2月24日、若林区の仮設住宅の集会所。186人が犠牲になった同区荒浜からの集団移転を目指す会社員、前之浜博さん(45)が集まった約20人に提案した。

 

 

 荒浜を含む沿岸部1213ヘクタールは昨年12月、「対策を講じても新たな津波被害を完全には防げない」として、集団移転の対象となる「災害危険区域」に指定された。対象は約2000世帯。反発も予想されたが、昨年11月発表の意識調査によると、区域内の計86%が「移転したい」「移転はやむを得ない」と判断していた。2月発表の調査では90%が「土地を売却したい」と答え、移転支持派は想定以上に増えている。荒浜にとどまることを望む住民の間には、「『区域指定で居住権を侵害された』として、市を相手取って行政訴訟を起こすべきだ」との声もくすぶるが、「事を荒立てても地域から理解されない」と自制を求める意見もあり揺れ動いている。

 

 内陸部の宅地でも地滑りなど4031件の被害があり、復旧が大きな課題だ。市は昨年11月、復旧工事費のうち100万円を超す金額の9割を助成すると発表。それでもめどが立たない3地区では、一部住民に集団移転を勧める方針だ。

 

 農林水産業の被害は734億円。被災した水田約1600ヘクタールは昨年末までに、ほぼがれき撤去が終わった。

 

 市全体でみると、津波被害を受けた県内外から9000人超が流入し、昨年11月には市制施行後初めて105万人を突破した。復興事業を見込む企業も競って進出している。オフィスの空室率は、昨年2月の20%から同12月には15%に改善。大型小売店の昨年10~12月の販売額は前年同期比9・6%増えた。

 

 阪神大震災で神戸市の経済が低迷したのとは対照的に、「復興バブル」と言われるほどのにぎわいだ。奥山恵美子市長は「復興需要はいつか途絶える。危機感を先取りし、産業を育てていきたい」と話している。【平元英治】

 

 ◆名取市

 

 ◇工業団地に5社進出

 

 住民の1割を超す667人が死亡し、壊滅した沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区。行き交う大型トラックや重機の騒音が響く。一望できる小高い丘の日和山にのぼると、大量のがれきは撤去され、延々と続く更地が見えた。

 

 昨年10月に復興計画を策定。閖上地区については区画整理事業で再建することを盛り込んだ。約2100世帯が対象となり、同12月には住民ら15人による「閖上復興まちづくり推進協議会」が発足。月2回程度のペースで話し合いを重ね、早ければ年度内にも公営住宅の建設地など今後の土地利用について結論を出す予定だ。

 

 同様に壊滅的な被害を受けた下増田地区では、約170世帯を対象に防災集団移転事業を進める。今回と同規模の津波が発生した場合は危険だと判断されたほか、集団移転を求める地元住民の声にも後押しされて復興計画に加えられた。

 

 佐々木一十郎(いそお)市長は「今回の被害を教訓に、どんな災害が来ても命が守れるような町を作りたい」と意欲を見せる。

 

 産業も活気を取り戻しつつある。閖上漁港は昨年10月に漁が再開され、高級貝「アカガイ」が出荷された。今春には仮設の魚市場を再建する。さらに、内陸部にある愛島(めでしま)西部工業団地は震災の被害を免れたため企業からの問い合わせが相次ぎ、沿岸部で被災した企業も含め新たに5社が進出した。【須藤唯哉】

 

 ◆岩沼市

 

 ◇海岸沿いに避難用「丘」整備

 

 17年度までの7年間にわたる復興計画を昨年8月に策定した。被災した沿岸6地区の集団移転先を内陸部に造成する計画だ。ただ、被害が一部で済んだ蒲崎、新浜の両地区には、補修して住み続けている家が点在する。市は「将来にわたって安全な場所に集団移転を」と促すが、住民には土地への愛着や移転先で家を新築すると二重ローンを抱えることへの不安があるようだ。

 

 集団移転は住民の総意が要件。総意でなければ被災した土地は買い上げされないため、移転を希望する住民もやきもきしながら推移を見守っている。計画ではこのほか、防潮堤や江戸時代からの運河「貞山(ていざん)堀」、幹線市道をかさ上げする「三重の防御」で新たな津波被害を防ぐ。海岸沿いには、避難用に野球場大の「千年希望の丘」を整備する。

 

 農地は2年以内の除塩完了を目指すが、地盤沈下の影響もあって見通しは不確定だ。井口経明市長は「市に地盤沈下対策の経験や知識はない。国土保全は国の責任だ」と国主導での対策を求める。

 

 塩分が多い土地で育つ、糖度の高いトマトの栽培も始まった。大勢の従業員が解雇された沿岸部の工業団地では、操業再開で雇用も戻りつつあるという。【熊谷豪】

 

 ◆亘理町

 

 ◇イチゴ栽培を集約化

 

 昨年12月に策定した復興計画の基本は、既存の市街地や施設の活用だ。他の学校の空き教室を借りている町立の3校は、現地での再開を目指す。学校は津波発生時の避難所としても位置付け、非常用電源や備蓄倉庫などの整備も進める。

 

 一方、防潮堤を整備しても、今回と同様の津波が起きた場合に2メートル以上の浸水が想定される地域は、集団移転の対象となる「移転促進区域」に定めた。対象は約500世帯に上るが、斎藤邦男町長は「住居については、家族の中でさえ考え方が異なるほどの大きな問題」と、集団移転の難しさを説明する。

 

 県内一の収穫量を誇る特産のイチゴは、約270軒の農家の約9割が被災。今後は栽培の集約化により、再建を図る。具体的には、計76ヘクタールの大規模な農地を町内3カ所に造成。栽培方法として、塩害の被害を受けた土地でもビニールハウスを建設できる「高設栽培」を導入する方針だ。約120軒が参加する意思を示している。【成田有佳】

 

 ◆山元町

 

 ◇新駅軸に町づくり

 

 町内を走る大動脈のJR常磐線は今も不通で、坂元、山下両駅は駅舎も壊れたまま。町は昨年12月に策定した復興計画で常磐線を内陸に移し、新駅を軸に市街地を形成する方針を打ち出した。ただ、住民の反応は複雑だ。山下駅前で小売店と簡易郵便局を構える橋元伸一さん(51)は「ここで直す方が早く復旧するはず。移設するには時間がかかって町民の気持ちが離れてしまい、人が住まない町になる」と話す。

 

 町は今後の津波被害を防ぐため、沿岸部で▽建築禁止▽宅地のかさ上げ0・5メートル以上▽同1・5メートル以上--の3区域を設定した。集団移転を想定しているのは7地区1400戸。斎藤俊夫町長は「震災という窮地を乗り越え、新たな町づくりを進めたい」と話す。

 

 人口(1月末)は震災前(昨年2月末)に比べ14%減の1万4393人。ただ、町を離れても広報誌の郵送を希望する人が約3000人いる。町への愛着を持つ転出者を再び戻す政策が求められている。